シュルフター−折原 往復Eメール
折原 浩
2004年4月26日
ここにご紹介したいと思うのは、去る4月26日に、ヴォルフガンク・シュルフター氏と交わしたEメールである。
氏からは、今年に入って間もなく、Gert Albert, et al. (Hrg.), Das Weber-Paradigma, Studien zur Weiterentwicklung von Max Webers Forschungsprogramm[G・アルバート他編『ヴェーバー・パラダイム――ヴェーバーの研究プログラムを展開する諸研究』](Tübingen: J. C. B. Mohr, 2003)への氏の寄稿論文Wolfgang Schluchter, Handlung, Ordnung und Kultur, Grundzüge eines weberianischen Forschungsprogramms[行動、秩序および文化――ヴェーバー流研究プログラムの根本特徴]の抜刷が、郵送されてきていた。というのも、氏とは、筆者が1993年に一年間ハイデルベルクに滞在する以前から、かれが1989 年(だったと思うが)に来日して以来、「抜刷交換」の関係にある。なるほど、筆者には、かれの独文論考を読み、コメントを独文でしたため、こちらは日本語の論稿(たいていは趣旨のみ)を独訳して伝えることになるので、どうしても時間を食われる一仕事にはなる。ただ、かれには、そうした「非対称的」関係を「すまないが、自分のほうは日本語がまったく読めないので」と受け止める感性があり、筆者の拙い独文をよく解読してくれるし、すばやく返事をくれる。というわけで、とぎれとぎれになりがちでも、なんとか交信はつづけてきたし、そのなかから、全集版『経済と社会』の編纂をめぐるやりとりを、共著『「経済と社会」再構成論の新展開――ヴェーバー研究の非神話化と「全集」版のゆくえ』にまとめて上梓することもできた(鈴木宗徳・山口宏訳、未来社、2000)。今回は、このコーナーへの寄稿に忙しく、なかなか返事を書けないでいたが、4月に入ってやっと小閑をえ、かれの抜刷論考へのコメントとあわせ、「羽入書問題」についても、かいつまんで伝えていた。
今回も、シュルフター氏からは、いつものようにすばやく返信がきた。「羽入書問題」にたいしても一定の関心を示し、簡潔ながら的確で、ヴェーバー本人のスタンスとも結びつける理解を披瀝してくれたので、このコーナーにアクセスされる方々には興味をもっていただけようかと、ご紹介したいと思い立った。ところが、5月からは、羽入の応答回避という局面を迎えて、ふたたび執筆に忙殺され、先送りせざるをえなかった。しかしここにきて、「羽入事件」にたいする外在考察論考にも一区切りがついたので、シュルフター氏の快諾をえ、下記のとおり、原文に邦訳を添えてご紹介する次第である。
ちなみに、わたしたちは、「羽入事件」「羽入書問題」につき、日本のみでなく全世界のヴェーバー研究者、広く歴史・社会科学研究者に、当該社会の一ヴェーバー研究者として責任/社会的責任を負っており、学問的・批判的な見解を表明し、少なくとも(ともに考えてもらうために)情報を提供する義務があると思う。筆者としては、日本の「中堅」や「新進気鋭」の研究者に、(留学経験の有無にかかわりなく)そうした国際責任感覚を身につけ、常日頃から、海外にある同僚との間にも交信関係/信頼関係を培っていってほしいと希望している。
1. 折原からシュルフターへ
haben Sie vielen Dank
für Ihre freundliche Zusendung vom Sonderdruck Ihres Aufsatzes “Handlung, Ordnung und Kultur, Grundzüge eines weberianischen Forshcungsprogramms”, in: Das Weber-Paradigma: Studien
zur Weiterentwicklung von
Max Webers Forschungsprogramm.
Entschuldigen Sie bitte, daß ich
So klar und deutlich wie gewöhnlich, haben Sie das Max Webers Forschungsprogramm einer verstehenden und empirischen Soziologie gegenüber den heutigen Hauptströmungen der Wissenschaftstheorien expliziert. Zusätzlich zu den sachlichen Seiten des Weberschen Werkes, insbesondere seinen religionssoziologischen Schriften, die Sie früher behandelten, haben Sie diesmal auch die logischen und methodischen Seiten seines Werkes im Lichte der gegenwärtigen Theorien klar placiert. Zusammen mit Ihrem vorigen Buch Individualismus, Verantwortungsethik und Vielfalt, habe ich daraus sehr viel gelernt.
In bezug auf Ihre Punkte 5. Methodologischen Individualismus und 6. Mehrebenenanalyse, vielleicht aber in meiner anderen gedankengeschichtlichen Perspektive, betrachte ich das Webers Forschungsprogramm als eine Synthese der“sozialökonomischen Wissenschaft seit Marx und Roscher”(GAzWL, S. 163) mit der “exacten”oder“atomistischen”Richtung der Forschung von Carl Menger. Weber, der den Gesichtspunkt Roschers, daß die kausale Erklärung und Analyse der “organischen” Einheitlichkeit der geschichtlich-sozialen Zusammenhänge nicht nur schwieriger als diejenige natürlicher Organismen, sondern prinzipiell unmöglich wäre, als ein Dogma ablehnte (a. a. O. S. 35-6), hat den Mengerschen gegenübergestellt, “daß in Wahrheit, da wir auf dem Gebiete der Gesellschaftswissenschaften in der glücklichen Lage seien, in das Innere der 'kleinsten Teile', aus denen die Gesellschaft sich zusammensetzt und welche alle Fäden ihrer Beziehungen durchlaufen müssen, hineinzublicken, die Sache umgekehrt liege” (a. a. O. S. 35 Anm. 1; dazu auch Menger, Untersuchungen über die Methode der Socialwissenschaften, und der Politischen Oekonomie insbesondere, Leipzig, 1883, S. 157 Anm. 51). Diese Forschungsrichtung hat Weber einerseits positiv statt der emanationistischen Dogmatik übernommen, andererseits aber“die menschlichen Individuen und ihre Bestrebungen, die letzten Elementen unserer Analyse”(ebd.), die Menger etwas naiver gesetzt hatte, eben durch Uebernahme und Weiterentwicklung der Deutungstheorie handlungswissenschaftlich viel besser begreifen können. Zugleich aber hat Weber die Mengers Anwendungsbeschränkung auf die “ökonomischen” oder “rationalen” Erscheinungen gerade mittels der Totalitätsorientierung der “sozialökonomischen Wissenschaft seit Marx und Roscher” durchbrochen, so den Weg zur intersphären(zum Beispiel zwischen Religion und Wirtschaft)oder multi-dimensionalen analytischen Anwendung geöffnet. Dann ist dieser Forschungsprogramm auch denn auf den Protestantismusaufsatz angewandt, am adäquatesten aber im Aufsatz über das antike Judentum(GAzRS, III, S. 87-9)formuliert worden. Während Durkheims Theorie eben die Genese der “kollektiven Vorstellungen” als solcher nicht explizieren konnte, ist Weber mit diesem Forschungsprogramm, das demselben Gabriel Tardes näher lag, einen bedeutenden Schritt vorangetreten.
Inzwischen bin ich in eine
skandalöse Debatte in
Mit herzlichen Grüßen
Ihr
Hiroshi Orihara
邦訳
G・アルバート他編『ヴェーバー・パラダイム――ヴェーバーの研究プログラムを展開する諸研究』に寄稿なさったご論考「行動、秩序および文化――ヴェーバー流研究プログラムの根本特徴」の抜刷を送ってくださって、まことにありがとうございます。
遺憾なことに、お返事がこんなに遅れてしまって、申しわけありません。
いつものように明快に、マックス・ヴェーバーの経験的理解社会学の研究プログラムを、今日の科学論の主要な潮流と対比して、見事に解明されましたね。ヴェーバーの労作のザッハリヒな側面、とくに宗教社会学的な諸著作については、以前に取り扱われたわけですが、今回はそれに加えて、その論理的、方法的側面も、現在の科学論に照らして明晰に位置づけられたことになります。このまえのご高著『個人主義、責任倫理および多面性』ともども、大いに学ばせていただきました。
そのうち、第五点の「方法論的個人主義」と第六点「多面的分析」につきましては、おそらくは別の思想史的パースペクティーフで見るからでしょうか、わたしはヴェーバーの研究プログラムを、「マルクスとロッシャー以降の経済科学」(「客観性論文」、『学問論集』163ぺージ)と、カール・メンガーの「精密的」ないし「原子論的」研究方針との、ひとつの総合と考えています。ヴェーバーは、「歴史的−社会的諸連関の『有機的』統一態を分析し、因果的に説明することは、自然の有機体の分析/因果的説明に比して困難であるばかりか、原理的に不可能である」というロッシャーの観点をドグマとしてしりぞけ(『同』35-6ぺージ)、「じつはわれわれは、社会科学の領域では、社会が構成され、社会的諸関係の糸が必ず通り抜けなければならない『最小部分』について、その内部を覗き込める、という恵まれた状態にあるので、事態はまったく逆である」(『同』35ぺージ、注1、加えては、メンガー『社会科学とくに政治経済学の方法にかんする研究』、1883、ライプツィヒ、157ぺージ、注51、参照)というメンガーの観点を、それに対置しています。ヴェーバーは、このメンガーの研究方向を、一方では肯定的に、ロッシャーの流出論的ドグマに代えて採用し、他方では、メンガーがやや素朴に措定していた「われわれの分析にとって究極の要素をなす人間諸個人とその努力」(『同上』)を、まさに解明理論を引き継ぎ、展開することによって、行動科学(行為論)的にはるかによく把握することができました。と同時にヴェーバーは、「精密的」ないし「原子論的」な説明方針の適用が、メンガーにあっては「経済的」ないし「合理的」な諸現象に制限されていたのにたいして、「マルクスおよびロッシャー以降の経済科学」の「総体への志向」に依拠してその適用制限を破砕し、「間領域的」(たとえば宗教と経済)ないし多次元的な分析への適用の道を開きました。その後、この研究プログラムは、プロテスタンティズム論文にもやはり確かに適用されましたが、もっとも十全な形では、古代ユダヤ教にかんする論文(『宗教社会学論集』第三巻、87-9ぺージ)に定式化されます。デュルケームの理論では、「集団表象」そのもののほかならぬ発生が解明できませんが、ヴェーバーは、むしろガブリエル・タルドに近いこの研究プログラムによって、デュルケームを越える重要な一歩を踏み出したと思います。
この間、わたしは日本で、あるスキャンダルめいた論争に巻き込まれていました。ある若い博士が、ヴェーバーを詐欺師として特徴づけようと企て、ルターとフランクリンにかんするヴェーバーの論述から「証拠」を集め、『マックス・ヴェーバーの犯罪――プロテスタンティズム論文における資料操作と「知的誠実性」の崩壊』と題する、一見推理小説風の本に仕立てて、京都のそう悪くはない出版社から刊行したのです。この本がある賞を受け、若い学生や読者が面白がって読むような状況にもなってきましたので、わたしは、その本を学問的に厳しく批判し、同時に、現代大衆社会のそうした状況を顧みようとしない、後進のヴェーバー研究者にたいしても、責任を問わざるをえませんでした。そのために、あなたの学問上価値のある論文にも応答している暇がなかったという次第で、申しわけありませんでした。
敬具
折原 浩 拝
2. シュルフターから折原へ
Sehr geehrter Herr Orihara,
herzlichen Dank für Ihr kommentierendes Schreiben. Mit Ihrer Interpretation der Punkte 5 und 6 bin ich durchaus einverstanden. Ich bin gerade dabei, einen Aufsatz über die protestantische Ethik abzuschließen, in dem ich in ähnlicher Weise argumentiere, wie Sie es tun. Sobald ich damit fertig bin, werde ich Ihnen den Text zukommen lassen. Ich bin auf Ihre Reaktion gespannt.
Es tut mir Leid, dass Sie sich mit solchen schiefen Sachen auseinander setzen müssen, wie sie offensichtlich in dem Buch des jungen Wissenschaftlers stecken. Aber seriöse Arbeit ist schwierig und zeitraubend. Da sucht mancher eben lieber den Weg zur Show. Aber, wie Weber schon sagte: "Wer Show will, geht ins Lichtspiel". Leider haben wir inzwischen solche Leute auch in der Wissenschaft.
Mit herzlichen Grüßen
Ihr
Wolfgang Schluchter
邦訳
折原さん、
論評をメールで送ってくださって、心よりお礼申します。第五点および第六点にかんするあなたの解釈には、まったく賛成です。わたしは、いまちょうどプロテスタンティズムの倫理にかんする論文を脱稿しようとしていますが、そこでわたしは、あなたがなさっているのとよく似た仕方で、論証を繰り広げています。脱稿したらすぐにお送りします。あなたがどんな応答をなさるか、楽しみです。
あなたが、その若い学者の本に明らかに看取される、よからぬ事柄と対決しなければならなかったとは、お気の毒なことです。とはいえ、真面目な研究は、困難で時間を食います。ですから、ショーの道を行きたがる人も多いのでしょう。しかし、ヴェーバーも語っていたとおり、「ショーを欲する者は、映画館にいくがよい」のです。遺憾ながら、そういう人々に、この学問の領域でも出くわすようになった、ということでしょうか。
敬具